1266. 名無しさん 2020年08月13日 15:09 ID:23XTcolj0
かなり昔の、かなり田舎での話。
特定避けにフェイク入れまくってますので戯れ言と思ってお付き合い下さい。


田舎の山の中にある家に生まれた私は、
アル中の父親にブン殴られながら育った。
小さい頃からふもとの店まで片道1時間近くかけてお酒を買いにいかせられたりしてた。
田舎なので子供でも売ってくれたが、お金をもたせられなかったことも多く、ツケで買ってたことがまだ小さかったにも関わらず恥ずかしかった。
まあ私の格好もひどかったし、田舎の小さな社会だから父親のことは知られてて同情はされてたけど、そいうったことも恥ずかしかった覚えがある。
疲れ果てて帰ってくると
「遅い」
と殴られた。
母親は見て見ぬフリ。
むしろ自分に矛先が向かわなくてホッとしてた感じだった。

小学校の高学年になると、ロクにご飯も与えられなかった私でも、両親の遺伝で背だけは伸びてきた。
ガリのノッポ。
そしたら父親に軽トラの運転を叩き込まれた。
ふもとの居酒屋(兼食堂兼弁当屋兼雑貨屋)で飲んだくれ、それを私に連れ帰ってもらうためだった。

母親は運転できなくて、このことは私に押し付けもできずによく父親に罵られてた。
なので母親もコレ幸いと私に
「お父さんの言うことを聞きなさい」
と言うだけ。
殴られるのが嫌で必死で覚えた。
もともとボコボコだった軽トラなので、少々ぶつけても大丈夫だったのだけが幸いだった。




1267. 名無しさん 2020年08月13日 15:11 ID:23XTcolj0
何度か酔った父親を迎えに行ったが、もちろん行きは1時間近く歩いていって、帰りは父親が乗ってきてた軽トラで帰る。
見つからないようにみんなが帰ったあと、酔った父親を助手席側に動かして、それから自分が運転席に移って運転。
いま思えばすれ違った人もいたし、たぶん見て見ぬ振りしてた人も多かったのかも。
田舎なので他人のことで警察沙汰にする人はほとんどいなかった。
自分が被害者のケースでさえ、加害者が親族だったとかなんとかを理由に警察に言わない人も多かったくらいだったし。

それまでは酔いつぶれる前に自分で運転して帰ってた父親だが、おそらくそれまでも毎回そうだったんだろう、私が連れて帰る時はいつも山道のある場所で降りて、立ちションしてた。
山道のカーブの外側、ガードレールの切れ目のむこうの開けた空き地。
酔いつぶれてるのに不思議とそこの近くに差し掛かると目を覚まして、
「おい停めろ」
と言い、車を停めるとフラフラあるいて遠く隣町の街明かりや星空を眺めながらジョボジョボやってた。
私は車の中で待ってるだけだったが、お気に入りの場所にする気持ちも分からんではなかった。

私にとっては父親の立ちション便所でしかなかったが。

1268. 名無しさん 2020年08月13日 15:12 ID:23XTcolj0
ある時、小6の卒業式のあと、
「中学卒業したらどこそこへ嫁に行け」
と言われた。
どこそこの息子はその時すでに中年に差しかかろうかと言う年。
最初は
(あれ?弟とかいたっけ?)
(それとももう息子の方は結婚して子供もいたのか?)
と混乱したが、なんのことはない、
『その中年息子の嫁になれ』
ってことだった。
後で知ったが、父親というかうちはそこから借金をしていた。

絶対嫌だった。
そこの息子さんは全然悪い人でもなんでもなくむしろ好感持てる人だったが、
まだ十代になったばかりで、そんなことを勝手に決められて、あと3年ちょっと、中学生活のあとは絶望しかないようなこんな田舎で一生を終えるだけなんて、
絶っっっ対に嫌だった。

数日後、また父親を迎えに来るようにとふもとの居酒屋から電話があった。
トボトボと歩いて山を降り、父親を乗せ、居酒屋の明かりが消え、みんなが居なくなってから、車を走らせた。
例の父親専用立ちション便所で停まり、父親がジョボジョボやってる背中をヘッドライトで照らしながら思った。
(こんなやつ、このまま車で突き落としてやろうかな)
って。

それまではずっと殴られてて逆らうなんて考えもしなかったけど、『中学卒業後に嫁に行け』と言われたこと、学校で友達からいろいろ聞いて父親が特別ロクデナシとわかったこと、嫁の話を出されても知らん顔で守ってくれない母親のこと、全部ぐちゃぐちゃになって。
で、車を発進させた。

1269. 名無しさん 2020年08月13日 15:16 ID:23XTcolj0
父親が
『ン?』
って感じで振り向いて、驚いて何かを叫んだ(と思う)。
それが、父親が怒った顔で
『あとでどんな目に遭うか分かってるんだろうな!?』
的なことを言われたような気がして(フラッシュバックかもしれない)、
思わずビビってブレーキを踏んだ。
実際はもうろれつも回ってなかったし、表情も怒りじゃなくただただ驚愕か戸惑いだけだったと思う。
でもその時はビビっちゃったんだ。

だけど急ブレーキで停まった軽トラは、ギリギリで父親をドンと突き飛ばし。
父親はそのまま山の岩肌の下に転げ落ちて、逝っちゃった。
軽トラは端からわずか50cmくらい手前で停まってた。

私はバカだった。
父親にぶつければ反動で軽トラは停まるみたいなイメージを勝手に抱いてた。
あの時ブレーキ踏まなかったら、もろともに落ちてた。

その後、父親は『立ちション中に誤って落ちた』ってことで全部終わった。

(生きてたらどうしよう?)
とか思ったけど、ちゃんと逝ってた。
運転は父親がしてて、ひとりで勝手に落ちて事故死ってことになった。
私は疑われすらしなかった。
よく調べたらいろいろ不自然なことも多かったと思うから、今思えばもしかしたら、分かってたけどそういうことになったのかもしれないけど、私には分からない。

母親は保険金とか入ってホッとしてた。
なんか共済かなんかあったらしい。
でも私が中学2年になったころから、母親は進路などで言うことを聞かない私に暴力を振るうようになったので、
折れた物干し竿(ただの木の棒)で滅多打ちにしたらおとなしくなった。
今思えば、父親のことよりこっちの方が復讐って意識でやったかも。

高校は寮に入り、就職してからは一度も帰ってないし連絡もしたことはない。
私ももうすぐアラカンだけど、一応まだ生きてるらしい。



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