308: 名無しさん@おーぷん 19/12/10(火)09:31:44 ID:LO.kf.L1
中1の時に突然、母と父に呼ばれ居間へ行くと
『この家にお母さんは必要か?』
と聞かれた。

母は専業だったが、家事が苦手で最初は頑張ってたんだけどながら家事が多くて、食べながら洗濯干したりテレビ見ながら茶碗を洗ったりして、一つの家事をやるのに1時間かかるか途中でやってる事を忘れる人。
テレビ見ながらやるから水出したまま手が止まってたり、全然汚れが落ちてなかったり、洗濯も朝ドラが始まると洗濯機のそばを離れてそのまま忘れて昼まで放置したり。
だから結局、父がやるか私がやるか。
それもだんだん面倒になって来て、小学校高学年位から最初から私が自分でやるようになった。
自分の茶碗が汚れてる事もないし、お茶飲もうと思ったら湯飲みが無いとか体操着も乾いてないとか皺々って事もなくなったし、それで快適だった。

そんなんだから、我が家のマスコット的なポジションでいつもコタツの中でゴロゴロしてた母。
『家に必要か』と言われたら、居なくても問題なかった。
なので
「え?別に大丈夫だよ」
と答えたと思う。
嫌いとかではなかった。
単純に必要かどうか聞かれて、
(友達と旅行へ行きたいのかな?)
って思って
「居なくてもいい」
って答えたと思う。




そしたら翌日から母が居なくなってた。
と言っても
(旅行に行ったのかな?)
とか考えてるうちに1ヶ月ぐらいが経ったんだけど、本当に居なくても良かったみたいで何も気にする事なくそのまま月日が経った。

高校入試ぐらいの時に、
(あーあれは離婚するって事だったんだ)
と初めて気がついた。
今思うと薄情だなと思うけど。


310: 名無しさん@おーぷん 19/12/10(火)10:11:11 ID:ig.qf.L3
>>308
お母さん、家事もそうだけど家事以外でも家族に関わる姿勢が無かったんだろうね


311: 名無しさん@おーぷん 19/12/10(火)10:31:37 ID:LO.nu.L1
>>310
外でたのでID変わってたらごめんなさい。
多分、小学生までは母を必要としてた気がするんだ、授業参観や運動会来てもらおうと必死だったから…。
でも
「寝てて起きれなかった」
ってボサボサの髪の毛で言われた事があって、その時多分凄く泣いたんだよね。
それ見て父が
「お父さんも行きたいからお父さんにも行事教えて」
って言ってくれて(それまでは行事のプリントを母に渡してたから)、その次は父と母が来てくれたんだけど、そのうち母は来なくなって、行事関係も父に言うのが当たり前になったって感じ。

それ以降も母を求めてたけど、きっかけは運動会で使うナフキンにアイロン掛けて持ってくるようにって言われて(多分小2ぐらい)、でも案の定出来あがってなくてアイロン台の上に放置されてたんだよね。
母を急かそうとしたけど、母は朝ご飯作ってて
(母に声掛けたら朝ご飯食べれない)
って子供ながらに思って、見様見真似でアイロン掛けたのを切っ掛けに、
(なんだ出来るじゃん)
って思って。
それからなるべく自分の用事は自分でやるようになってくうちにそれが当たり前になって。

母の事は多分好きだったけど、自分が成長するにつれておっちょこちょいなペットみたいな感覚として扱ってたと思う。



いないいないばあっ! わ~お!
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