162: 名無しさん@おーぷん 2017/06/28(水)19:46:10 ID:rMZ
実家の父が倒れて介護が必要になったとき、
「父を引き取りたい」
と夫に申し出たら大喧嘩になった。

ふたりで建てた戸建て、
「いつか親の世話をしなきゃいけなくなった時のために」
と部屋は余分に造ってあったので、まさか反対されるとは思わず。
私は
「仕事を辞めるけど、金銭的に迷惑はかけない」
と申し出て引き取りを相談したが、夫から了解を得られなかった。
「今更他人に入られて窮屈な生活をしたくない」
と。
建てたころから気持ちが変わってしまったのは仕方がないし
これまで自由に暮らしていたから窮屈になるってその気持ちは分るけど、母が亡くなった時に何もできなかった後悔があって父の介護は精一杯やりたいと説得したが理解してもらえなかった。

そんな時、父は
「一人娘に迷惑を掛けたくない」
と言って、
「老健に入る」
と言い出した。
ずいぶん悩んだが、結局は
(引き取っても父が気疲れするだけだ)
と思い受け入れた。




それから2年、洗濯物や雑事で週1~2回顔を出す日が続いた。
が、ある時父がインフルエンザに罹り「高熱が続いてる」と老健から呼び出しがあった時に、たまたま同じタイミングで義父が自転車で転んで怪我をして
「病院に連れて行ってほしい」
と義母から電話があった。
私はすぐに夫に電話して、そういう事情なので
「あなたが連れて行ってあげてほしい」
と伝えたら
「大事な会議があるので無理だから。老健で話を聞いてから連れて行けばいいだろう」
と言われた。

ところが老健に着くと「入院させたほうが良い」とのことで、付き添っていかなければならなくなった。
義実家にその旨伝えると
「困った」
を繰り返すばかり。
父の病状を気遣う言葉なんて一言も出ず。
それどころか
「一人娘さんなんか貰うんじゃなかった」
と言われたことが突き刺さった。
(これまで何度も義実家のお手伝い等してきたのに何故今更そんなことを)
と。

その後しばらく父は入院し退院後は老健に戻ったものの、目に見えて弱っていった。
そして退院してすぐに誤嚥性肺炎で再び入院、それから数日で息を引き取った。

この頃から夫に対する気持ちは急速に冷めていった。
父の介護に一切ノータッチだったのは別に構わない。
そりゃあ一緒に心を砕いてくれたらとは思うけど。
でも何もしてくれなかったのに葬儀の時には
「一人娘の嫁を貰ったから義親の面倒を見るのは当然」
「精一杯やったから悔いはない」「肩の荷が下りた」

などと言ってるのを聞いてしまい腸が煮えくり返った。

163: 名無しさん@おーぷん 2017/06/28(水)19:46:24 ID:rMZ
そして父の三回忌が終わって間もなくのこと、今度は義父が脳溢血で倒れ半身麻痺が残った。
身体の大きな義父を高齢で小柄な義母が介護することは厳しく、夫が
「この家を売って実家を二世帯住宅に建て替えて同居したい」
と言い出した。
私は反対したが
「そうするしかないって分かるだろ?おまえも仕事辞めてもいいし」
と言われ
「そうするしかないのなら、この家を売ったお金の半分を私に下さい(資金を半分出したので当たり前)
その先はあなたの自由にすればいいです。
離婚しましょう」

と言った。

どうせ同居して自分が面倒を見る気なんかないくせに。
私が介護することが当たり前にしか思ってないくせに。
これまでだって、私の両親どころか自分の親のことも私に丸投げだったくせに。
なにグッドアイディアみたいな顔してんのよ。ばかみたい。

夫への憎しみが次から次から湧いてきて止まらなかった。
慌てた夫が
「もう一度よく考えよう」
って言ってきたけど、もう夫の何もかもが嫌だった。
義両親の介護もまっぴらごめんだった。
長い間話し合いをしたが離婚の決心は固く、その間も一切義実家には行かなかった。
夫の親族からは批判もされたけどどうでも良かった。
ただ一人仲の良かった義従姉だけは、同じような扱いを嫁ぎ先で受けてたから分かってくれていたけど。


正式に離婚した時、知命之年になっていたが全く後悔も不安もなかった。
両親が遺してくれたマンションと預貯金は、ひとりでもどうにか生きていけるように、こんな夫と別れても不安がないように、との最後のプレゼントだった気がする。
今はパートで働きながら身軽な熟年離婚仲間たちと楽しんでいる。
「年をとっての離婚は不安だろうとか寂しいだろう」とか言う人がいるが全くピンとこない。




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